R.シュトラウス「エレクトラ」特設サイト

Interview:シネイド・キャンベル=ウォレス
「クリソテミスは、人間味と愛に溢れた女性」

2023.3.24

5月12日と14日に行われる「エレクトラ」に、クリソテミスの役で出演する、シネイド・キャンベル=ウォレスは、いまヨーロッパで熱い視線を集める注目のソプラノだ。彼女はイギリスのウェクスフォード出身で、大学では心理学を専攻。さらにプロの歌手のキャリアを5年間中断し、家庭を持ち二人の子供を育てて、再デビューを果たしたという異色の経歴の持ち主。そんな魅力的な人柄の彼女にメールでインタビューに応えてもらった。

文:石戸谷結子(音楽評論家)

シネイド・キャンベル=ウォレス ©Marshall Light Studio

キャンベル=ウォレスの名前が一躍世界的にクローズアップされたのが、2022年8月にウィーン近郊で開催されたグラフェネク音楽祭でのこと。人気テノール、ヨナス・カウフマンがフロレスタンを歌う「フィデリオ」で、主役のレオノーレを歌ったのが彼女だった。予定されていたアニヤ・カンペが病気でキャンセル、急遽彼女が代役で登場したのだ。幸いこの公演(8月14日)を見ることができたが、彼女は豊かな声量と強い表現力でレオノーレを熱唱し、公演は大成功を収めた。

リリック・ソプラノから、ドラマティックな声質へと、突然変異。

―― ヨナス・カウフマンと共演した「フィデリオ」は、いかがでしたか?

シネイド・キャンベル=ウォレス(以下SCW):カウフマンと共演できたことは大きな喜びであり、とても光栄なことでした。オファーを受けたのは公演の数日前で、私は休暇を過ごした帰り道の車の中でした。「ヨナスがフロレスタンを歌う」と言われたときは冗談かと思いましたよ。私は大興奮してしまい、車を止めなければならないほどでした。幸運なことに、数か月前に、パリやロンドンで、インスラ・オーケストラと一緒に「フィデリオ」を歌ったばかりでしたので、この役はまだ私の中に活き活きと残っていました。ヨナスは素晴らしく、フレンドリーで温かい人柄だったので、すべてが楽しく、いい想い出になりました。一秒一秒がとても幸せな経験になりました。

グラフェネク音楽祭「フィデリオ」で急遽カウフマンの相手役に抜擢されたキャンベル=ウォレス(写真左、中央)。
豊かな声量と強い表現力でレオノーレを熱唱し、公演は大成功を収めた。
Grafenegg Festival 2022 © Sebastian Philipp

―― キャリアの初期にはリリック・ソプラノだったあなたが、結婚され、他の職業に就き、5年間の休みを経て復帰なさった。その時、声質が劇的に変わったそうですね。活動を再開なさったきっかけは? また声にどんな変化があったのでしょう。

SCW:10歳のころから歌のレッスンを受けていました。歌手に復帰したのは、骨の髄まで歌うこと、演じることが自分に染みついていると気付いたのだと思います。だから、息子が生まれた後に、再びレッスンを受け、自身のキャリアを確立することに集中しました。大変な努力と個人的な犠牲が必要でしたが、いま挑戦しなければ後悔すると思ったのです。幸運なことに周囲から素晴らしいサポートとアドバイスがあり、ものごとは良い方向に動き出したのです。

私の声は、リリックで軽い声から、よりドラマティックな声質へと確実に変化していました。これは、おそらく妊娠・出産を経験した身体的な変化だと思いますが、心理的にもよりリラックスして、地に足のついた生活が声の発展に大きく影響したのだと思います。突然、もっと重いレパートリーをやすやすと歌えるようになったのです! まるでこの瞬間を待っていたかのようでした。

―― いまはクリソテミスやレオノーレのほか、アガーテ(「魔弾の射手」)や「影のない女」の皇后などドイツ語のレパートリーのほか、トスカ、ミミ、蝶々夫人などイタリア・オペラでも活躍中。両方のレパートリーをどうバランスを取っていかれるのでしょう。

SCW:幸運なことに私はこれまでイタリアとドイツの両方を歌う機会に恵まれ、とても充実しています。プッチーニも大好きですが、私の心は、ワーグナーとR.シュトラウスの素晴らしい音楽のなかにあります。

クリソテミスは、人間味と愛に溢れた女性

―― 「エレクトラ」のクリソテミスは、興味深いキャラクターです。クリソテミスの女性像について、特に心理学的な見地から分析していただけないでしょうか?

SCW:クリソテミスは黄金という意味なんですが、そのキャラクターはとても興味深いものです。彼女はまさに生気のある人物で、純粋さと善良さを体現しているように見えます。狂気に墜ちていくエレクトラとは対照的に見えますが、しかし彼女も姉と同じ意志と強さを持っていると思いたい。運命から逃れ、望むような人生を送りたいと願って自分の境遇に憤ることもある。このように、姉と非常に似た性格もあることを認めることが大切だと思います。心理面では、父の死後に彼女が耐えてきた人生を考えると、信じられないほど回復力があると思います。自分の置かれた状況に息が詰まり、凍りつき、誰も自分を救ってくれないと語ります。そんな状況の中でも、彼女は決して希望を捨てない。私たちの中に、誰しも彼女のような一面があるのではないでしょうか。クリソテミスは、人間味と愛に溢れた女性なのです。

―― 歌唱的には、どんな難しさがあるのでしょう?

SCW:R.シュトラウスが書いたソプラノのための曲は、どれも信じられないほど難しく、同時に素晴らしいものです。クリソテミスは歌手がどう舵取りをするか、難しい。声を張りすぎないように注意が必要ですが、この曲では巨大なオーケストラがあるので、特に難しい。こうした音楽を歌うとき、必要なのはテクニックです。確かなテクニックは極めて重要です。

「エレクトラ」クリソテミスのアリア “Ich kann nicht sitzen und ins Dunkel starren(わたしはあなたのように座って、闇を見つめていることができません)”(キャンベル=ウォレス歌唱)

―― 「エレクトラ」はとても人気のある作品ですが、曲の魅力はどこにあるでしょう?

SCW:「エレクトラ」がこれほどの人気になったのは、何よりも音楽のおかげです。最初の3つの和音から、私たち観客は、この抗いがたい物語に引き込まれます。エレクトラとオレストが再会するシーンの音楽は、このオペラの中で最も美しく、素晴らしい瞬間の一つです。私はこの場面の音楽を聴くたびに、泣いてしまうんですよ!

―― 「エレクトラ」のフィナーレは謎めいています。クリソテミスが最後に叫ぶ、「オレスト、オレスト !」はどんな意味があるのでしょう?

SCW:R.シュトラウスの素晴らしさは、聴き手に多くを委ねてくれることです。最後の言葉が何を意味するか、各自が想像できます。私としては、クリソテミスがオレストの内に同じ精神を見ているように思います。おそらく彼が復讐に協力したことで、彼の不完全さが彼女のなかで、次第に明らかになったのでしょう。幕切れの叫びは、おそらく不信感に満たされているのだと思います。

―― 最後に今回の共演者や、演奏会形式についてお聞かせください。

SCW:マエストロ・ノットとお仕事をするのは初めてですが、とても楽しみです。素晴らしい噂しか、聞いたことがありません! クリスティーン・ガーキーは私のアイドルでした。いつも彼女を尊敬していますし、彼女のそばで歌えるなんて、夢が叶った気分です。きっとスターの追っかけのようになると思いますし、待ち遠しいです。もちろんこのキャストの皆さんと一緒に歌えることも楽しみです。私のキャリアのハイライトになることでしょう。「エレクトラ」は演奏会形式がとても効果的だと思います。緊張感がありドラマティックな作品なので、この形式に適していると思います。

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