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サマーミューザ特別寄稿~第1回 ”クラシック音楽をお茶の間に広げること”に力を注いだ山本直純(Text柴田克彦)

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2022 では、今年6月18日に没後20年、12月16日に生誕90年を迎える作曲家、山本直純を特集するコンサートが開催されます。
日本を代表する作曲家であり、テレビドラマのテーマ曲やCMソング、童謡と、数々の名曲を残した山本直純さん。
川崎市でも、市民の歌「好きです かわさき 愛の街」など、市民にゆかりの深い作品が作曲されています。

そんな山本直純さんについて、音楽評論家の柴田克彦さんにご寄稿いただきました。


写真左から小澤征爾、山本直純、齋藤秀雄
写真提供:ミリオンコンサート協会

 作曲家&指揮者の山本直純が世を去って20年が経過した。その名を聞いて、ある年代以上の方は、赤いタキシードに口ひげと黒縁メガネの愛すべきキャラクターを思い出すであろう。中でも「大きいことはいいことだ」のフレーズで一世を風靡したチョコレートのCMで指揮する姿、あるいは別のCMで高見山らと共に纏を振る姿が印象に残っているかもしれない。また、国民的映画「男はつらいよ」のテーマ音楽の作曲者と知る人もいるだろう。だが今や、多くの人にとって記憶の彼方にある存在、もしくは未知の存在となった感がある。

直純は桁外れの才能の持ち主だった。1932年に生まれた彼は、作曲家の父のもと、3歳から音楽教育を受け、完璧な絶対音感を身に付けていた。そして、指揮法を理論化した齋藤メソッドで知られる大教育者・齋藤秀雄に早期から指揮を学び、その教室で3歳年下の小澤征爾と出会った。中学3年の小澤が訪れた時、齋藤は「いま手いっぱいだから、しばらくは山本直純という人に教えてもらいなさい」と言った。1年間教えた直純は、小澤の問題点をすぐに見抜き、そこを重点的に練習したという。“世界のオザワ”に最初に指揮を教えたのは、誰あろう山本直純だったのだ。

しかし齋藤秀雄も一目置いた彼は、世界を目指す若き小澤に「音楽のピラミッドがあるとしたら、オレはその底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ」と話し、自身は“底辺を広げる仕事”、すなわち“クラシック音楽をお茶の間に広げること”に力を注いだ。

発端となったのは、1967年に始めた日本フィルの「ウィット・コンサート・シリーズ」だった。同コンサートは、イギリスのパロディ音楽の祭典「ホフヌング音楽祭」に触発されて始まった企画。1971年までの毎夏、東京文化会館で行われ、2300席の会場が毎回超満員となるほどの人気を集めた。ここでは、「山本直純“変曲”」の「交響曲第45番『宿命』」「ピアノ狂騒曲『ヘンペラー』」「ヴァイオリン狂騒曲『迷混』」といったパロディ物が話題を呼んだほか、当時の古今亭志ん朝の語りによる落語版「ピーターと狼」といった豪華プログラム(?)も登場し、皆のクラシック音楽への関心を高めた。

1972年には小澤征爾と共に新日本フィルの創設に参画。直純は、そこに至るまでの渦中で主導的な役割を果たしながらも、小澤を首席指揮者に立ててシリアスな音楽を任せ、自身はおもにポップスやマーチや「第九」の第4楽章を演奏するといったコンサートを指揮して、聴衆の拡大に努めた。

しかしながら、彼はここで多大な業績をあげることになる。1972年10月に始まった「オーケストラがやって来た」である。これは、TBS系列で毎週日曜昼間にテレビ放映されたクラシック音楽番組で、基本的に新日本フィルが演奏を担当した。そして毎回興味深いテーマを掲げ、芸能人や文化人をゲストに招きながら、“敷居が高い”とされるクラシック音楽を明快に紐解いた。直純は、構成、司会、編曲、演奏のすべてを受け持ち、全国各地を回った。「テレビでお馴染み」「飛び上がって指揮する」といった彼の親しみやすいキャラが生きたのも確かだが、欧米で飛躍していた盟友の小澤も帰国するたびに参加し、ヴァイオリンのスターンやパールマンなど知己の大物演奏家をも引き込んだ。同番組は、1983年3月まで544回もの放送が行われ、真摯かつハイレベルながら誰もが愉しく理解できる内容で、クラシック音楽の普及に大きく貢献した。

テレビマンユニオンチャンネルで番組の一部がご覧いただけます。テレビマンユニオンチャンネル検索-オーケストラがやって来た

番組のハイライトシーンを収めた全4巻のDVDが発売されているが、それを観ると物凄い内容に圧倒される。世界的ヴァイオリニスト、パールマンがラグタイムを弾き、小澤と直純がピアノの連弾で伴奏するシーンがある。著名ピアニストで指揮者のエッシェンバッハが出演し、ブラームスのハンガリー舞曲第5番を演奏。まず小澤の指揮でエッシェンバッハと直純がピアノを連弾、次に直純の指揮で小澤とエッシェンバッハが連弾、最後にエッシェンバッハの指揮で小澤と直純が連弾するという、夢のような回もある。ピアノ界の重鎮・安川加寿子が、モーツァルトのピアノ協奏曲「戴冠式」を“指揮”して、直純と小澤が二人でピアノ独奏のパートを弾くシーンもある。かような興味深い(信じ難い)場面が目白押し。そればかりか「オラトリオ 踏絵」「シンフォニック・バラード」等の真面目な自作も演奏されているし、いつもは日の当たらない「管楽器の2番吹き」をテーマにしたマニアックな回もある。

べらんめい調ながらも軽妙かつ的確な司会・進行も直純の面目躍如。それは、「番組は29局ネットで視聴率1%でも70万人が観ることになる。誰もが理解でき楽しく面白いものを作らなければならない」という、放送に対するポリシーの反映でもあった。
直純は、他にも様々なオーケストラを指揮し、ポピュラリティ豊かなコンサートを多数行った。1979、80年には世界に名だたるボストン・ポップスを指揮。同楽団のフルコンサートを指揮した唯一の日本人となった。1983~98年には大阪城ホールにおける「一万人の第九コンサート」で音楽監督&指揮者を務め、膨大な演奏者をまとめる凄腕を発揮しながら、クラシックファンの拡大に尽力した。

「直純は音楽を大衆化し、小澤は大衆を音楽化した」とも言われる。小澤にも劣らぬその功績を、生誕90年・没後20年の今、改めて見直したい。

(柴田克彦/音楽評論家)

サマーミューザ特別寄稿~第2回はこちらからご覧ください。
第2回 4000曲以上の作品を生み出した“大”作曲家 山本直純(Text柴田克彦)

山本直純さんの作品が特集されるコンサートはこちら
新日本フィルハーモニー交響楽団 山本直純生誕90年と新日本フィル創立50年を祝う

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