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HOME  / ブログ / 「スパイラル」名曲のツボ / ショスタコーヴィチ:交響曲第15番イ長調作品141

ショスタコーヴィチ:交響曲第15番イ長調作品141

11月23日の「名曲全集」はメトロノーム100台によるリゲティの問題作(!)からはじまる、ジョナサン・ノット音楽監督による風変わりなコンサート。後半で演奏するショスタコーヴィチの交響曲第15番について第1コンサートマスターのグレブ・ニキティンさんに伺いました。

「最後の交響曲」として作曲された交響曲第15番は
ショスタコーヴィチ版の「英雄の生涯」です

第1コンサートマスター
グレブ・ニキティン

G11

 この8月に没後40年を迎えたショスタコーヴィチ(1906~75)の交響曲第15番は、彼の最後の交響曲で、1971年に作曲、1972年に初演されました。作曲してから亡くなるまで4年ありましたが、彼が次の交響曲を作曲することはありませんでした。それは、なぜか。彼が重病だったという身体的な理由もありますが、もうひとつの理由は「15」という数字です。ショスタコーヴィチは1974年に最後の弦楽四重奏曲を作曲しますが、それも「第15番」です。つまり彼にとって「15」は終わりの数字であり、交響曲「第15番」は作曲した時点で、彼にとって「最後の」交響曲だったのです。
 そんな交響曲の冒頭は、グロッケンシュピールの「ミ」の音で始まります。続いてフルートが主題を吹きますが、その音をドイツ語の音名で読むと「Es(S)―As―C―H―A」、「サーシャ」となります。サーシャとはアレクサンドルの愛称で、ショスタコーヴィチの孫の名前です。最初の「ミ(Mi)」はイタリア語で「私」。つまり彼は、孫を見て、自分の子どもの頃を思い出しながら第1楽章を作曲したのです。
 交響曲第15番を初めて聴かれる人は、曲の中にロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲が登場して驚くかもしれません。第4楽章ではワーグナーの「ニーベルングの指環」や「トリスタンとイゾルデ」が聴こえてきますし、グリンカの歌曲も引用しています。交響曲第15番は、言ってみればショスタコーヴィチによる「英雄の生涯」なのです。「英雄の生涯」といえばR.シュトラウスの交響詩ですが、ショスタコーヴィチは、いつかこのような曲を作ろうと考えていたのです。ただし、ショスタコーヴィチはとても控えめな性格ゆえ、彼が最も好きな音楽は自作ではなく、ロッシーニでありワーグナーでありグリンカだった。だから、“生涯”を描くのに自作を引用した自信家のシュトラウスと違って、ショスタコーヴィチは他の作曲家の作品を引用したのです。曲の中にはシュトラウスへのオマージュもあります。第1楽章のヴァイオリンのソロに下降の音階がありますが、これはシュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」を意図的に真似しています。
 ショスタコーヴィチはバッハのようにオールマイティな作曲家ですから、あらゆる作曲技法を使って交響曲第15番を作曲しました。なかには、ひとつの主題をパートごとに音の長さを変えて重ねるという、中世ルネサンス時代のカノンも使っています。これは第1楽章に登場しますが、この作曲技法を20世紀で使った作曲家はおそらくショスタコーヴィチだけでしょう。
 ショスタコーヴィチは真の天才作曲家です。彼のあとにもメシアンなど素晴らしい作曲家はいますが、“天才”とまでは言えないと私は思います。そして、その最後の天才作曲家が最後の交響曲の最終楽章でワーグナーの楽劇を引用した意味は「死」でもあります。また楽章の最後に打楽器だけがリズムを刻みますが、これは「時間」を表しています。つまり、人の死後に残るものは時間のみ、と表現しているのです。
 私は日本のオーケストラでコンサートマスターをして22年になりますが、交響曲第15番を日本で演奏するのは今回で2回目です。日本ではややマイナーかもしれないこの曲をノット監督が「名曲全集」に選曲してくれたことは、とても嬉しく思います。ショスタコーヴィチ版「英雄の生涯」を、どうぞお楽しみに!(友の会会報誌SPIRAL Vol.46より転載/取材:榊原律子)

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団「名曲全集第112回」
2015. 11.23 (月) 14:00開演
指揮:ジョナサン・ノット
ピアノ:エマニュエル・アックス

リゲティ:ポエム・サンフォニック ~100台のメトロノームのための
J.S.バッハ/ストコフスキー編:甘き死よ来たれ BWV478
R.シュトラウス:ブルレスケ ニ短調 ~ピアノと管弦楽のための
ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番 イ長調 作品141

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