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ミューザ川崎シンフォニーホール
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特別寄稿:ホールを楽器にする巨匠ラトル(text: 石合力/朝日新聞編集委員)

2022.06.25

From_Muza

2022年10月2日、サー・サイモン・ラトルが手兵のロンドン交響楽団とミューザの舞台へ帰ってきます。ミューザ初登場の際に「It’s a real treasure(これは本当の宝だね)」という言葉を残し、以来ミューザの音響への愛を公言するマエストロについて、「響きをみがく~音響設計家 豊田泰久の仕事」の著者で朝日新聞編集委員の石合力氏にご寄稿いただきました。前後編でお送りします。

ラトル指揮 ベルリンフィル2017公演(c)青柳聡

「世界のなかで最も偉大なホールの一つ」、「個人的に一番好きなホール」(来日前のオンライン記者会見で)――かねて「ミューザ川崎シンフォニーホール」を世界一の音響と評価する巨匠サー・サイモン・ラトルが、その「お気に入りの地」で5年ぶりに演奏する。過去の登壇はホール開館初年の2004年のほか、08年、13年、17年の4回。オーケストラはいずれもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団だった。17年から音楽監督を務めるロンドン交響楽団(LSO)とは20年に初めて登壇する予定だったが、コロナ禍で来日が中止になった。音楽監督の退任を控えているラトルとLSOとの組み合わせは、聴衆にとって、まさに一期一会のものになる。

その演奏を前に、ラトルの「ミューザ」への偏愛ともいえるこだわりについて、ふれてみたい。新聞社の特派員としてロンドンに滞在していた筆者が、前回2018年のLSOとの来日ツアーに先立って、インタビューした際、彼はこう語っている。

「もちろん、サントリーホールは、あらゆる名ホールの偉大な先祖、産みの親です。では、キタラやミューザはさらにすばらしくなったのだろうかというのが次の質問になるでしょう。ミューザはあり得る可能性の中で完璧に近い、というのが私の答えです。来日ツアーでは、日本のさまざまなホールで演奏するけれど、ミューザでの公演がいつも最高のものになる」(筆者注・18年の来日公演では、ミューザは演奏会場に含まれていない)

ラトルが名前を挙げた三つのホール、サントリーホール(1986年)、札幌コンサートホールKitara(1997年)、ミューザ川崎シンフォニーホール(2004年)の音響は、いずれも音響設計家豊田泰久(69)がかかわったことで知られる。今回の来日ツアーでラトルは、その三カ所と、やはり豊田による京都コンサートホール(1995年)を会場に選んでいる。豊田が音響設計したホールは、いずれも豊かさとクリアな響きを両立させた音響のすばらしさで知られる。ラトルと故マリス・ヤンソンスはミューザを推し、ピアニストのクリスチャン・ツィメルマンはサントリー、そしてワレリー・ゲルギエフはキタラをそれぞれ「世界一の音響」だと公言している。豊田自身、自分の作品に優劣はないとしたうえで、80年代のサントリーに比べ、2000年代以降のホールづくりでは、コンピューターの進歩で、音場(音の空間)や音響をどうすればいいかという情報が格段に増えたと筆者に話したことがある。

LSOの音楽監督に就任したラトルは、ロンドンの本拠地バービカンセンターについて、ステージの狭さなどを指摘。音響面でも不満を示していたと言われる。後継となる新ホール建設プロジェクトでは、ロンドンに「ミューザ」をつくることにこだわった。

2017年11月、ラトル他ロンドン新ホール計画のメンバーがミューザの視察に訪れた

実現可能性を探る事前調査の段階で、新ホールについて「ミューザ川崎のようなホール」と名指しで言及。ホールの形状についてもサントリーやミューザと同じようにステージのまわりを客席が360度囲む「ヴィンヤード型」であることが前提になっていた。

2019年1月にロンドンで開かれた記者会見で、「あなたにとっての理想であるミューザをどこまで意識しているか」との筆者の問いにラトルは、こう答えた。「確かにミューザが私のお気に入りです。付け加えれば、ミューザの設計思想のタイプは、我々が建設を予定しているスペースのタイプにふさわしいところがある」

実際、建設予定地ロンドン博物館の地図上に、同縮尺のミューザの敷地を当てると、ぴたりとはまったという。同プロジェクトは、コンペ(設計競技)を経て、豊田が音響設計を担当することが正式に決まっていたが、その後のコロナ禍による経済状況の悪化を理由に、ロンドン市(シティ・オブ・ロンドン)が21年2月に中止することを発表した。ロンドン市は、英国の欧州連合からの離脱(ブレグジット)決定を受けて、いったん建設計画を断念した中央政府からプロジェクトを引き取っていた。計画は事実上2度目の断念だった。

LSOのマネージング・ディレクター、キャサリン・マクダウェルは今回の来日前のオンライン会見で、新ホール建設のかわりにロンドン市がバービカンセンターの改修にあたることを明らかにしたうえで、こう語った。

「(コロナ禍の)パンデミックから完全に復活すれば、何ができるようになるか、だれにもわからない」

巨額の建設費がかかる新ホール建設の一時的な中止や完成の遅れは、豊田自身、ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホール(2003年)やハンブルクのエルプフィルハーモニー(2017年)でも経験済みだ。ブレグジット後も世界経済、金融の拠点として機能し続けるロンドンでの新ホール計画を完全にあきらめるのはまだ早いかもしれない。

ラトルがなぜ、そこまでミューザ、そして豊田が設計するホールの響きにこだわったのか。その理由は、彼が筆者とのインタビューの際に語った、この言葉に集約されるだろう。
「すばらしいコンサートホールは、我々がその上で演奏する『楽器』なのです」

ラトルによれば、「ヤス(豊田)の両耳には、ほかの誰も聴くことのできないもの、響きが聞こえている」という。

「ヤスは、現代のストラディヴァリ(ヴァイオリン名器の制作者)であり、巨大なストラディヴァリウスをつくってくれる人間なのだと思う」

オーケストラだけでなく、ホールも巨大な楽器とみる指揮者ラトル。その彼が、最高の楽器ミューザで演奏するプログラムに込めた思い、そして信頼関係で結ばれたLSOとの演奏の魅力についてさらに触れてみたい。

新ホール建設をめぐり、打ち合わせるサー・サイモン・ラトルと音響設計家豊田泰久。2017年9月、LSOのシーズン開幕時にバービカン・センターで(c)石合 力

(文:石合力/朝日新聞編集委員)

>>>後編:巨匠ラトル、ロンドン響と奏でる「有終の美」(text:朝日新聞編集委員 石合力)

 

■公演情報
サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
2022年10月2日(日) 14:00開演
指揮:サー・サイモン・ラトル
オーボエ:ユリアーナ・コッホ(ロンドン交響楽団 首席オーボエ奏者)
管弦楽:ロンドン交響楽団
Program
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から 前奏曲とイゾルデの愛の死
R.シュトラウス:オーボエ協奏曲
エルガー:交響曲第2番 変ホ長調 op.63
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