【サマーミューザ特別インタビュー】ジョナサン・ノット
ベートーヴェンとワーグナー、ドイツの両雄を結ぶ“組曲の午後”への誘い
インタビュー・文 青澤隆明(音楽評論家)
フェスタサマーミューザの熱い夏のはじまりを、さまざまな驚きと挑戦で鮮やかに彩ってきたジョナサン・ノット&東京交響楽団。音楽監督として12年目にして最後となる今シーズンも、ノットはフェスタのプログラムに特別な思いを籠めている。これまでの東響との達成と彼自身のヒストリーを重ね合わせるように。
ベートーヴェンの交響曲第8番に再び取り組み、ワーグナーの『ローエングリン』第1幕への前奏曲と、『ニーベルングの指環』の全日を辿るようにロリン・マゼールがまとめた「言葉のない『指環』」でこれを挟み込む独特の構成である。4月の来日の折、多忙なマエストロに、2025年の夏に向かって、とめどなく溢れ出る思いをきいた。

「この夏はベートーヴェンとワーグナーの時間、いずれも情感に溢れる心の音楽であるとともに洗練された知性の音楽です。歌劇場の首席指揮者を務めてきた私がワーグナーのオペラを東京交響楽団で大々的に採り上げていないのをどこか惜しく思っていましたが、ようやくその望みが叶います。マゼールによるこの編曲版は実によくできていて、非常に賢明なやりかたで素材を結びつけ、『指環』全体のストーリーを辿って行ける。また面白いことに、私はこの後スイスに帰って、フェスタの前に『指環』全作を2度指揮してくるのですよ」。
ベートーヴェンの小さめの交響曲と、ワーグナーの巨大な楽劇連作の凝縮版という興味深い組み合わせである。コンサートを通じて、小規模編成と大編成でのオーケストラ表現のコントラストも愉しめるだろう。
「ええ。マゼール版では、小さなエピソードから、大きなオペラ全体を再創造することになりますので、いくらか舞曲の組曲にも近いところがあるでしょう。ベートーヴェンの交響曲第8番の愛すべきところは、エピソードの連なりで構成されていることです。ならば、この2つの魅力的な組曲を取り合わせみてはどうだろう?
『ローエングリン』の前奏曲は真に美しい音楽ですから、いつか採り上げたかった。私はこのシーズン全体を再訪の機会、そして様々なものごとをひとつの結論に結ぶための時間と捉えています。さよならを言うときと、いくらか近いものもありますね……」。
ベートーヴェンの交響曲第8番は8年ぶりの再訪で、年末恒例の『第九』とともに東響とのチクルスの集大成ともなる。夏のフェスタでは、2016年に第6番、19年には第1番、そしてパンデミックのさなか、2020年夏には第3番『英雄』を事前収録の映像で指揮してきた。
「ベートーヴェンの交響曲を一曲だけ採るとしたら、私はきわめてウィットに富むこの第8番を選びます。そして、私が第8番の真価を見出したのは、他ならぬここ東京においてです。時差ぼけで深夜3時くらいまで寝つけなかったので、この曲の録音を聴くことにしました。フィナーレに進んで、私はベッドから飛び起きました。スコアをオンラインで探さなくては、と。これほどクレイジーで大胆な作品だということが、にわかには信じられなかったのです」。
9作の交響曲のなかでも、なにがそれほどまでにノットをつよく惹きつけるのだろう?
「そうですね。この作品がもっとも人間的であるからだとお答えしようと思いますが、なにをもって人間性というのか定義する必要があるでしょうか……。この作品からは、それを一言で言うことはできません。私にとっては、驚くほどの興味を惹かれる作品なのです。ただショックを受けてベッドから飛び起き、『まさか! ベートーヴェンさん、さすがにこれはあり得ないよ』って叫んだのだから(笑)。さて、ベートーヴェンの真に偉大なところは、第一に隠しごとをしないことです。ここには悲しみがなく、もし彼がほんとうに悲しいときでも、決して絶望してはいませんよね?」。
『ニーベルングの指環』は、ノットにとって特別に思い入れの深いオペラだ。フランクフルト歌劇場でピアニストを務めていたとき、第1カペルマイスターだったオレグ・カエターニがヴィースバーデン歌劇場の首席指揮者のポストを得て、第1カペルマイスターとしてともに移るように誘われた。しかし、オーケストラとの激しい闘いの末、カエターニは3年目のシーズンの最後の演奏会を前に辞任。ノットは次のシーズンの首席指揮者を引き継ぐよう急遽頼まれ、5月に音楽祭で予定されていた『指環』全曲も初めて指揮することになった。
「私は当時ライン川の近くに住んでいたので、川が流れていくのを眺めながら、どうやってこの巨大な作品を学ぶことができるのだろうと考えました。しかも、リハーサルと本番が一日ずつ、わずか8日間で全曲上演を成し遂げなくてはならないのです。これをやりぬいて生き延びることができたのは、私の人生にとってきわめて大きな経験となりました」。

そのようにして1996年、ノットは33歳のときに、初めて『指環』の全曲を指揮した。さらに遡って1980年代前半、声楽家を目指して音楽院に在籍していたときにも、レッスン以外の時間を『指環』の分厚いスコアを自力で学ぶことに充てていたという。
「私はつねに『指環』に驚嘆させられてきました、なぜならこれは際立って人間的な作品で、日常的なストーリーだから。巨人やこびとは出てきますが、実際にここで起こることは、富への強い欲求、権力の渇望、愛への狂おしい憧れ、カップル同士の喧嘩、結婚とは、長きにわたる関係とはなにか……。あらゆる情景が私たちの日々に、いつだって起こり得る普遍的なものごとなのです」。
さて、マゼールの「言葉のない『指環』」は、1987年にベルリン・フィルの委嘱で取り組まれた編曲である。ノットはちょうどマゼールがニューヨーク・フィルの音楽監督を務めていた2000年代に、彼と少々風変わりで幸福な出会いをしている。
「私はニューヨーク・フィル・デビューで『アルプス交響曲』を指揮したのですが、最初のリハーサルの朝、部屋にノックがありました。どうみたってマゼールその人なのですが、『おはようございます、ロリン・マゼールです』と彼は言いました。それだけで充分にスウィートなことですが、それからこんなことを話しました。『もしこのオーケストラがなにか気難しくて意地悪だと耳にしているとしたら、それはまったくの言いがかりです。彼らはほんとうに素晴らしい人々だ』と。それから、『少しリハーサルに立ち会ってもかまわないか?』と言われて、私は『もちろんです』と答えました。さて、その晩には、マゼールがドヴォルジャークの第7番を指揮するコンサートがあり、私が座ったボックスからはステージがよくみえました。すると彼は、第3楽章の主題を指揮するとき、私を振り返ってまっすぐにみつめながら、拍に合わせておどけてみせたのです。演奏会の後で楽屋に挨拶に行くと、40人くらいの人だかりでしたが、マゼールは人々との会話を止めて私のところにくると言いました、『ジョナサン、いま私は幸せに死ねるよ、指揮というメチエ(技芸)がまだ死ぬことはないのを今朝みたのだからね。きみは今日では稀少な指揮者のひとりだ』。出会ったばかりのこの人が突然こんなことを言うのはどうしてだろう?と私は考えました。指揮の真の技能とは、ただ棒を振り下ろすのではなく、人々のエナジーをつかみ、どんなことでも安心してできるように担保することです。でなければ、彼ほどの人物がわざわざ自己紹介し、こんなふうに私に話しかけ、はては『指揮してくれて、ありがとう』とまで言ってくれる理由はどこにもありません。これがロリン・マゼールと私との接点でした」。
東京交響楽団もマゼールとは浅からぬ縁がある。1963年の初来日で指揮し、創立65周年の2011年にも再び指揮台に立った。かくしてふたつのパーソナルな歴史がこの夏、他ならぬ「言葉のない『指環』」によって結ばれることになる。
「音楽と人生は切り離すことができないひとつのものです。東京交響楽団のプレイヤーたちが、私とともに年を重ねて変わっていくのをみてきました。こうした関係や経験、この出会い、融合、分かち合い、この喜び、このジャーニーが、願わくはみなさんの人生の一部になることを切に願っています」。
