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やり手商売人が ベートーヴェンと会った理由とは……? ~かげはら史帆のベートーヴェンコラムvol.4~

『交響曲第4番』が初演された1807年。
36歳のベートーヴェンは、旅行中のクレメンティと出会いました。

 ムツィオ・クレメンティ。今日ではピアノ初級者のためのソナチネの作曲家としてよく知られています。ソナチネを聴くと、まじめそうなピアノの先生かな?という印象を受けますが、実はかなりやり手の商売人でした。ロンドンを拠点に、作曲家、ピアニスト、ピアノ教師、さらにはピアノ製造業、音楽興行、音楽出版業などに手を出してすべて大成功した、マルチタイプの音楽ビジネスマンだったのです。
 そんな彼のウィーン訪問のお目当て。それこそがベートーヴェンの作品の出版でした。
当時のベートーヴェンは人気うなぎのぼりの作曲家。わけても初演されたばかりの『交響曲第4番』は、狙い目の作品だったに違いありません。

 当初は同じ音楽家としてのライバル心を抱いてか、あるいはあまりの商売っ気の強さにうさんくささを感じていたのか、つれない態度だったベートーヴェン。しかし交渉はぶじ成立し、クレメンティは『交響曲第4番』を含むいくつかの作品の出版権を得たのでした。
 「私はついにベートーヴェンをモノにした!」うれしさのあまり、クレメンティはそんな報告を共同事業者に書き送っています。百戦錬磨の商売人にとっても、ベートーヴェンは難攻不落の城だったのでしょう。

(かげはら史帆/ライター)

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かげはら史帆
東京郊外生まれ。著書に『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)。ほか音楽雑誌、文芸誌、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。
https://twitter.com/kage_mushi

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