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《マタイ受難曲》は、瞑想的、個人的な作品〜鈴木雅明《マタイ受難曲》講演会レポート(Text 加藤浩子)①

3月10日に友の会限定企画「鈴木雅明が語る《マタイ受難曲》」講座を開催いたしました。その模様を、音楽評論家・加藤浩子さんによるレポートでお読みください。(全2回)


15分で完売だったという。
去る3月10日に、ミューザ川崎の市民交流室で行われた、鈴木雅明氏の《マタイ受難曲》をテーマにした講演会だ。「こんなことは初めて」だと、担当者も目を丸くしていた。
ご存知のように鈴木雅明氏は、古楽オーケストラ&合唱団「バッハ・コレギウム・ジャパン」(以下BCJ)を創設した指揮者、オルガニスト。鈴木氏とBCJは、ここのところ毎年、イエス・キリストの受難を偲ぶ日である聖金曜日の前後に、この日の礼拝のために作曲されたバッハの受難曲〜《マタイ受難曲》または《ヨハネ受難曲》を演奏しており、高い人気を誇る。なかでも《マタイ受難曲》の演奏回数は飛び抜けて多く、この4月17日はにミューザ川崎でも演奏するが、それで97回目になるという。けれど「飽きるどころか、いつも新しい発見がある」(鈴木氏)のが《マタイ受難曲》という作品なのだそうだ。
以下、当日の内容をレポートする。チケットを買えなかった方、都合がつかなくて来られなかった方、講演会は念頭になかったが鈴木氏の解説を通じて《マタイ受難曲》をより知りたい方々に、多少なりともお役に立てれば幸いである(内容はほとんどが鈴木氏の発言だが、理解を助けるために筆者が補足した部分もあることも付け加えておく)。

講演はスライドによる説明と、ポジティフオルガンによる演奏を交えて行われた

「受難曲」の歴史

そもそも「受難曲」は、イエス・キリストが十字架にかけられた「聖金曜日」の礼拝において、イエスの受難を偲んで演奏されるもの。盛んになるのは中世後期以降だが、それにはイエス・キリストの「受難」に関するイメージの変化がある。絵画作品を見ればわかるが、中世までは、十字架上のキリストは苦しみのない、「勝利するキリスト」として描かれていた。それが「苦しみのキリスト」へと変化するのは、十字軍遠征後のこと。キリストは「統治者、全能の主」という教義的なイメージから抜け出て同情、共感の対象となり、イエスの苦しみを共有して、イエスに倣って生きたいという思想が生まれてくる。その受け皿として「受難曲」はうってつけだった。バッハの《マタイ受難曲》もまた、十字軍以後に成立した「苦しみのキリスト」というイメージを受け継いでいる作品である(ちなみに鈴木氏自身はカルヴァン派だが、カルヴァン派では「イエスは勝利している」という考えなので、受難曲のようなイエスの苦しみを味わう音楽はない、ということに触れておられたのも印象的だった)。
音楽のジャンルとしての「受難曲」は、聖書(福音書)の受難記事を朗読=実際は「朗唱」=したことに始まる。基本的に一つの音を朗唱するのだが、人物によって音の高さを変えたりするようになり、さらにそこに色々な要素が加わるようになった。テキストは、一つの福音書に基づくスタイルと、全部の福音書から抜き出す形の2種類あり、後者は主にカトリックの受難曲で用いられた。宗教改革によって成立したいわゆるプロテスタント教会の受難曲は、一つの福音書に基づく前者のタイプがほとんどである。
周知のように、バッハはプロテスタントの「ルター派」教会に属するが、バッハの頃のルター派の受難曲は、「オラトリオ風受難曲」と呼ばれる形式が主流だった。これは福音書の受難記事に、コラール(讃美歌)と自由詩楽曲(合唱、アリアなど)を加えた、かなり大規模なもの。バッハの現存する2つの受難曲は、その好例である。
とはいえ受難曲の本質的な意義、機能は、「聖書朗読」にある。聖金曜日の礼拝では、普段の礼拝には欠かせない「聖書朗読」が行われないが、それは「受難曲」の中で聖書朗読を行うからなのだ。

マタイ受難曲が初演された聖トーマス教会

マタイ受難曲が初演された聖トーマス教会 ©加藤浩子

バッハの受難曲の特徴〜テクストと音楽の三重構造

バッハの現存する2つの受難曲、《マタイ時受難曲》と《ヨハネ受難曲》は、それぞれ『マタイによる福音書』『ヨハネによる福音書』の受難記事に基づいている。2作とも、バッハのライプツィヒ時代(1723-1750)に成立しており、《ヨハネ》は1724年、つまりバッハがライプツィヒに来て(1723年5月に移住)初めての聖金曜日に聖ニコライ教会で初演され、《マタイ》はその3年後、1727年の聖金曜日に聖トーマス教会で初演された。どちらもバッハの生前に何度か再演されているが、《マタイ》の場合は1736年の改訂再演の際の自筆スコアがそっくり残っており、現在の上演のほとんどはこのスコアに基づいて行われる。一方《ヨハネ》は完全な形で残されているスコアがないので、上演にはより困難を伴う。
2つの受難曲の大きな特徴は、(「オラトリオ風受難曲」という形式からくる)「三重構造」である。
テクストは前述のように、①聖書朗読、②自由詩、③コラールという3つの要素で構成される。自由詩はバッハと多くの作品を共作しているピカンダーが作詞し、コラールはバッハが選択した(後述するが、コラールがバッハの考えで選ばれていることは、作品の根幹に関わる大変重要なことである)。この3つのそれぞれを、①(エヴァンゲリストによる朗読部分以外で)合唱とオーケストラ、②ソリスト、③合唱とオーケストラという3つの編成で演奏していくのである。
バッハの受難曲では、「時間的構造」も三重になっている。聖書の記述は「聖書の時代」を、自由詩は「バッハの時代」を、ルターの宗教改革によって生まれ、現代まで歌い継がれているコラールは「現代」の時制を持っている。この3つの時代のどれに思いを馳せるか。それも、バッハの受難曲が伝えるメッセージの一つである。
さらに《マタイ受難曲》には、《ヨハネ》にはない大きな音楽的特徴がある。合唱、楽団、ソリストが二手に分けられていることだ。この場合の「ソリスト」は、ソロの部分だけを歌うのではなく合唱部分も歌い、「コンチェルティスト」と呼ばれる。対して、合唱にだけ参加する歌い手は「リピエニスト」と呼ばれる。
二つの演奏グループが指定された《マタイ受難曲》の上演に関する「謎」は、聖トーマス教会のどこで演奏されたのか、ということだ。この問題についてはまだ決着がついていない。聖トーマス教会はバッハ当時と今では構造が違っており、当時の構造を正確に知ることはできないし、どのオルガンが使われ、どこに置かれたかもわかっていない(この下りで、聖トーマス教会の現在の内部の写真や、当時の図版などが示された)

聖トーマス教会、聖歌隊席から祭壇を見る

聖トーマス教会、聖歌隊席から祭壇を見る ©加藤浩子

冒頭合唱曲や名場面における三重構造

「三重構造」は、全曲のさまざまな場面で打ち出されている。その例を、冒頭合唱曲と、有名な「ペテロの否認」の場面で見てみることにする。
《マタイ受難曲》の冒頭合唱曲は、開幕曲として画期的だ。ふつう第1曲は、これから始まる出来事を説明する役割を担うのだが、この曲は全曲の構造が凝縮されたダイジェスト版とでもいうべきものになっており、三重構造も提示されている。つまりこの曲は、第1合唱と第2合唱があらわすシオンの娘の対話、そして「神の小羊」を歌うコラールと、3つのグループによって歌われるのである。
さらにこの冒頭曲には、全曲を貫くキーワードも散見される。たとえば第1合唱に出てくる「忍耐(=キリストの忍耐を指す)」という言葉は、第35曲のテノール・アリア〈耐え忍ぼう〉に継承されるのである。

No.1 Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen(Chorus)
No.35 Aria: Geduld, Geduld! (Tenor)

次に、有名な「ペテロの否認」の場面の「三重構造」を見てみる。ペテロがイエスを「知らない」と、3度否認する場面だ。
まずこの場面全体が、レチタティーヴォ(第38曲)、アリア(第39曲)、コラール(第40曲)という、3つの曲、3つの様式で構成されている。
ペテロが三度目に「そんな人は知らない」と否定する部分の音楽は、続くエヴァンゲリストの言葉「するとすぐ、鶏が鳴いた」で再現される。さらに、続く有名なアリア〈憐れみたまえ〉でも、同じ音楽が再現されるのだ。3つの楽曲に同じ旋律が現れるのは、バッハの緊密な音楽構造の証である。
この場面を締めくくるコラールは、極めて静謐なキャラクターを持っている。このコラールは現代の時制として歌われ、現代に生きる我々は、ペテロの慟哭、悔い改めを自分達のものとして受け止めるのだ。
レチタティーヴォを挟んで歌われる第42曲のアリアは、第39曲と対になる曲である。ユダの死の後で歌われる曲だが、「イエスを返せ」と大祭司に迫ることも的外れだし、深刻な内容なのに明るく元気のいい音楽であることも奇妙だ。このようなチグハグさを通じて、バッハは私たちもいつユダのようになるかもしれない、という戒めを伝えているのである。

No.38 Recitative and Chorus: Petrus aber saß draußen im Palast (Evangelist, Ancilla I, Petrus, Ancilla II, Chorus)
No.39 Aria: Erbarme dich (Alto)
No.40 Chorale: Bin ich gleich von dir gewichen
No.42 Aria: Gebt mir meinen Jesum wieder (Bass)

※その2に続く

公演情報


バッハ・コレギウム・ジャパン J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244
2022年4月17日(日) 16:00開演

指揮:鈴木 雅明
ソプラノ:ハナ・ブラシコヴァ、中江 早希
アルト:ベンノ・シャハトナー、青木 洋也
エヴァンゲリスト(福音史家):トマス・ホッブス
テノール:櫻田 亮
バス:加耒 徹、渡辺 祐介
合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン

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